カシミールで催涙弾を被弾して印パ関係でわかった1つの真実とは

印パの対立激化のニュースは日本でも毎日のように報道されていますね。印パ関係の悪化は最近始まったことではなく、歴史を遡ると第二次世界大戦後から印パ対立が深刻化し始めました。

数年前、カシミールで催涙弾を被弾した日本人の友人をふと思い出したので、カシミールで危ない目にあった日本人の体験談を紹介します。以下、彼目線で記述された体験談です。

 

「インド軍の催涙弾を浴びてしまいました。」

(image by sandeepachetan.com)
それは2015の夏でした。カシミールの都市スリナガルを観光している時です。スリナガルはダル湖を臨むインド人の人気避暑地とされる場所で、日本で言うと軽井沢みたいな場所なんです。ガイドブックの「地球の歩き方」にも掲載されているということもあり、日本人バックパッカーもちらほら見られます。街は避暑地にふさわしい落ち着く場所でした。

(

image by caravanmagazine.in)
カシミールの問題のことを噂では聞いていたけれど、私がカシミールに到着した初日、街はいたって平和でした。翌日になり街を散策すると、シュリナガルにはカシミール人が壁に書いたグラフィティが街に散見されました。

(image by thestatesman.com
中心地を歩いていると、平和なシュリナガルの街は一変しました。暴徒と化した現地人とインド軍(おそらく)との衝突に巻き込まれてしまったのです。小規模な衝突でしたが、命の危険を感じたことは克明に覚えています。

一瞬の出来事で当時のことはあまり覚えていませんが、この場から逃げることだけを考え走り始めたところで、インド軍の催涙弾を浴びてしまいました。強烈な目の痛さに襲われ、しばらく目を開けることはできませんでした。観光客の私は、現地人に助けられ、何とかその人の家に避難できました。

彼は語りました。「カシミールはインドではない。またパキスタンでもない。カシミールはカシミールだ。」

カシミール人は、カシミールをパキスタンに吸収されていることを望んでいる訳ではないのかもしれない。一つの国、カシミールとしての独立のために、カシミール人としてのアイデンティティを持つ彼らは今も戦っているのかもしれない。

※ページで使用している写真は現地の本当の写真ですが、私が撮影したものではありません。

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